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編み物ってどうやって世界共通のものづくりになったの?~編み物の歴史~

  • 執筆者の写真: マツイーヒロミ
    マツイーヒロミ
  • 8月30日
  • 読了時間: 9分

更新日:9月9日

前回は、自分の制作過程でのふとした疑問から「編み物のはじまり」についてを紐解いていきましたが、今回は、その後、「編み物」が今のカタチにいたる「編み物の歴史」についてをまとめてみたいと思います。


編み物の歴史は、私たちの生活と深く結びつき、時代と共に進化してきたようですよ。

その歩みを、ざっくりとわかりやすくご紹介します。




編み物をする人



編み物の歴史


1. 編み物の起源:中東からヨーロッパへ

編み物の起源はとても古く、はっきりとしたことはわかっていない部分が多いようです。


しかし、石器時代から漁網などが編まれており、糸や縄を組む技術は古くから存在していたと考えられています。


現存する最古の編み物は、11世紀後半から12世紀前半頃にエジプトで発掘された靴下の一部です。


この遺物は、現代の編み物(メリヤス編み)とほぼ同じ技法で作られているため、棒針編みの歴史を語る上で最も重要な発見の一つとされています。


この技術がアラビア商人やムーア人によってヨーロッパに伝わり、その後ヨーロッパでは、14世紀頃に手編みの手袋や靴下が発展し、貴族や上流階級の人々の間で流行しました。




2. 産業革命と編み機の誕生

手編みが盛んになる一方で、より早く、大量に製品を作るための技術も求められるようになりました。


16世紀:イギリスのウィリアム・リーが「靴下編み機」を発明しました。これが、手編みから機械編みへの大きな転換点となります。


17世紀以降:編み機は改良を重ね、ヨーロッパ各地に広まっていきました。これにより、編み物は手工業から産業へと発展していきました。




3. 日本への伝来と発展

日本に編み物が伝わったのは、なんと!16世紀の安土桃山時代といわれています。


ポルトガル人やスペイン人によってもたらされた「メリヤス」という靴下は、織田信長も持っていたとされる高級品だったとか!


その後、江戸時代には庶民の間でも編み物が行われるようになり、明治時代には女学校で編み物が教えられるようになりました。


特に、日清・日露戦争などの軍事需要で編み物産業は大きく発展しました。

 

手編みというと「2本以上の編み針を使って毛糸などを編む」いわゆる「棒針編み」を想像する人が多いかもしれませんが、日本では昭和40年頃までは棒針編みよりも「かぎ針編み」の方が主流だったそうです。


日本語では「棒」か「かぎ」だけの違いですが、英語では棒針編みが「ニット(knit)」かぎ針編みが「クロッシェ(crochet)」と、明確に区別されています。




4. 現代の編み物

戦後、編み機が一般家庭に普及し、手編みとは別に機械編みも盛んになりました。


編み機のある部屋

(写真はイメージです)


私が子供の頃、もれなく我が家にも編み機があり、母がジャージャーと大きな音をたててセーターなどを編んでいくのを見ているのが好きでした。


後に、誕生日に私専用の簡易編み機を買ってもらい、いくつかセーターをせっせと編んだ記憶があります。

(当時おもちゃとして売られていたようですが、かなりよくできていたあの編み機…どこへいったんでしょうね…)


また、既製品の安価なニット製品が出回るようになり、編み物は「生活必需品」をつくるという側面だけでなく、「趣味」や「手作りの温かさ」を楽しむものへと変化していきました。


現代では、コンピューター制御のニット編み機「完全無縫製型(ホールガーメント)コンピューター横編み機」なども開発されており、デザイン図案を入力すると、全自動で1本の編み糸から1着のニット服を丸ごと編み上げることができるようにまでなりました。


最新のホールガーメント横編み機はシンプルなセーターであれば、1枚30分ほどで編み上がるそうです。


某ファッションブランドが、この技術を使用した製品を販売していますね。


そして、毛糸の種類もデザインも多様になり、世界中の編み手がつながり、新しい作品、製品を生み出しています。


編み物は、時代と共に形を変えながら、私たちの暮らしに寄り添い続けているのです。

 



 

 

かぎ針編みの起源と発展


編み物には、棒針編みが「ニット(knit)」とかぎ針編み「クロッシェ(crochet)」があります。


私がつくる帽子はかぎ針編みです。


棒針の編み物でも様々なものを編んできましたが、子供が生まれてから、大好きな「ものづくり」が難しくなった時に、さっとかぎ針と糸を出して編める小さなモチーフ編みなら気軽にできることに気付き、編み物を始めました。


その後、娘のバッグをつくったり、友人にバッグをプレゼントしたり、使ってもらいたい相手を思いながらデザインをしたものを編むようになりました。



その中で手編み帽子の編み方を知り、いくつもの帽子を編んでいく中で、かぎ針1本で糸が自分の思い描く立体になっていくコツを掴むと、どんどん帽子づくりにはまっていったのです。



和紙帽子をかぎ針編みで編む様子


かぎ針編みは、一本のかぎ針を使って糸をループさせて編んでいく技法です。


棒針編みとはまた違った歩みがあるのではないかと、こちらも気になってまとめてみました。


その歴史は、他の編み物技法に比べて比較的新しいそうですが、世界中で愛される手芸として発展してきました。


かぎ針編みの起源は、棒針編みよりもずっと謎に包まれているそうですよ。




かぎ針編みの起源は「諸説あり」


棒針編みは中東からヨーロッパへ広がったことが分かっていますが、かぎ針編みの起源については、確固たる定説がありません。


しかし、いくつかの有力な説が提唱されています。



アラビア起源説


最も有力な説の一つです。アラビアの遊牧民が、棒針編みとは異なる、先端がわずかに曲がったかぎ状の針を使った技術を持っていたという説です。


糸を巻きつけて鎖状に編む「タラス」と呼ばれる技術が、かぎ針編みの原型だったのではないかと考えられています。


タラスは布地を作るというよりも、鎖編み(チェーンステッチ)を基礎に、様々な装飾的な模様を作り出し、装飾や補強のために用いられることが多かったようです。


タラスは口承で受け継がれてきたため、詳しい記録はほとんど残っていないそうです。



南米起源説


南米の先住民が、植物の繊維や髪の毛を、かぎ状の道具で編んで装飾品などを作っていたという説です。



中国起源説


中国の伝統的な手芸である「鎖編み」が、かぎ針編みの原型だったという説です。



このように、かぎ針編みの起源は世界各地に点在しており、おそらく複数の地域で独立して発展したと考えられています。




19世紀、かぎ針編みは花開く


古代から存在したかもしれないかぎ針編みですが、私たちが知っているような「手芸」として確立し、広く普及したのは19世紀のヨーロッパでした。


アイルランドの飢饉と救済の手段


1845年から始まったアイルランドのジャガイモ飢饉(じゃがいもききん)の際、貧困に苦しむ人々を救うため、上流階級の女性たちがかぎ針編みの技術を教え始めました。


これにより、繊細なレースやドイリーが作られ、それを売ることで収入を得ることができました。


特に、アイルランド独特の「アイリッシュクロッシェレース」は、複雑で美しい模様が特徴で、世界的に人気を博しました。



アイリッシュクロッシェレース


産業革命と家庭での手芸ブーム


産業革命により機械化が進み、人々は労働時間が短縮されたことで、家庭での趣味を持つ余裕ができました。


この時期、教本や図案が多数出版され、庶民の間で一気に広まりました。


また、ヴィクトリア女王が趣味としてかぎ針編みを愛好したことも、ブームに拍車をかけました。






現代のかぎ針編みへ


19世紀に確立されたかぎ針編みは、その後も進化を続けました。



素材の多様化


ウールや綿だけでなく、アクリルやポリエステル、麻など、様々な素材が使われるようになりました。これにより、手編みのバッグや小物、あみぐるみなど、より幅広い作品が作れるようになりました。



ファッションとアート


現代では、かぎ針編みはファッションショーのランウェイを飾ったり、アート作品として展示されたりするなど、伝統的な手芸の枠を超えて、新たな表現方法として注目を集めています。






日本への伝来と現代のかぎ針編み


日本へのかぎ針編みの伝来は、明治時代以降、西洋文化の流入と共に広まったとされています。


特に第二次世界大戦後、手芸として家庭で広く行われるようになりました。


現代では、かぎ針編みは趣味としてだけでなく、プロのデザイナーによるアート作品やファッションアイテムにも取り入れられています。


糸の種類や色、かぎ針のサイズ、そして多様な編み方を組み合わせることで、無限の可能性を持つ手芸として進化を続けています。


かぎ針編みの魅力は、その手軽さと、複雑な模様からシンプルな小物まで、幅広い作品が作れる点にあります。


また、比較的短時間で形になるため、達成感を得やすいことも人気の理由の一つです。



可愛らしい丸い毛糸玉



日本におけるかぎ針編みの歴史




黎明期(明治時代~昭和初期)


日本にかぎ針編みが伝わったのは、主に明治時代です。


西洋の文化や技術が積極的に取り入れられる中で、手芸の一つとしてかぎ針編みも紹介されました。

しかし、この時期はまだごく一部の人々の間で知られている程度でした。



普及期(昭和時代)


かぎ針編みが広く普及したのは、第二次世界大戦後です。


戦後の物資が不足する中で、手作りの温かさや実用性が再認識されました。


雑誌や書籍でかぎ針編みの編み方やデザインが紹介されるようになり、一般家庭の女性たちの間で趣味として定着していきました。


また、この頃には編み物教室も増え、技術を学ぶ場が広がりました。



毛糸玉と編み図



現代


現代では、かぎ針編みは単なる趣味にとどまらず、多様な楽しみ方がされています。


ハンドメイドブーム


SNSの普及により、ハンドメイド作品を共有したり、オンラインで販売したりする文化が生まれました。



多様な作品


伝統的なレース編みから、あみぐるみ、ファッションアイテム、インテリア雑貨まで、幅広い作品が作られるようになりました。



編みぐるみとあかちゃんの帽子


新しい素材


毛糸だけでなく、Tシャツヤーンや麻ひもなど、新しい素材を使った作品も人気を集めています。




かぎ針編みの歴史は、謎に満ちた過去から、人々の生活を支え、文化を豊かにしてきた物語のようですね。


日本におけるかぎ針編みもまた、時代と共にその形を変えながら、多くの人々に愛され続けています。


編み物をしながら、そのシンプルなカタチの針がたどってきた長い歴史やそこにいた「編み物をする人々」に、ちょっと思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


今編み物を愉しまれている方々にも、それぞれの「編み物のはじまり」や「編み物の歴史」のストーリーがあるのではないかと思っています。


そんな皆さんのストーリーやかぎ針編みが好きな理由なども、ぜひ聞かせてください。

新たな発見がありそうでわくわくします。






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